2007年2月11日日曜日

映画祭へのご支援ありがとうございました


みなさまこんにちは。

みなさまからのご支援とご協力をいただいて、韓国ドキュメンタリー映画祭を成功させることができました。賛同やカンパをいただいた方々をはじめ、様々な形でご支援をいただいたすべての皆様に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。

映画祭は延べ約250人、監督とのワークショップには各20~30人の方々にご参加いただき、大盛会のうちに終えることができました。アンケートも60人を超える方々から、びっしりと書かれた感想をいただき、自分たちのやったことへの反響の大きさに驚いています。

私たちは今回の映画祭で、「社会を変える映像の可能性の模索」として、映像を見るだけでなく、どのような問題意識で誰が映像をつくり、その映像で社会がどう変化していったのかということに焦点を当てて準備してきました。どこまでそれが実現できたのか、まだ分かりませんが、みなさんからの多くの励ましや期待、共感の声をいただき、本当に感謝しています。ご回答いただいたアンケートの内容については、後に詳しく報告したいと思います。

みなさま、映画祭へのご支援本当にありがとうございました。そして引き続きご支援のほど宜しくお願いいたします。

2007年1月30日火曜日

5作品ダイジェスト映像



下記の上映5作品がコンパクトにまとまっています(3:14)。どうぞご覧下さい。
 あんにょんサヨナラ
 テチュリ村の戦争
 続く
 塩(ソグム)
 バスに乗ろう
プレーヤー再生→ http://amc.core.googlepages.com/KDF-PR.wmv

2007年1月9日火曜日

バスに乗ろう

『バスに乗ろう!』(53分 2002年 監督 パク・ジョンピル)――【障害者問題】

 「安全で便利に移動したい」という要求のために 1年以上続いている障害者移動権の闘いの記録。
 車椅子で移動する人びとに対して、全く配慮のない公共交通と他の乗客。そして相次ぐ車椅子用リフトの故障や事故。人間として生きていくのに一番基本的な要求をするために、車椅子生活者はバスを占拠して、ソウルの中心で梯子と鎖に全身を縛って闘争。国家人権委員会で命をかけたハンストまで行う。彼らの決死の、そして粘り強い交渉の行方は・・・。
 「障害者移動権連帯」の闘いの報告書。

塩(ソグム)

『塩(ソグム)』(54分 2003年 監督 パク・ジョンスク)――【女性労働者問題】

 韓国では地下鉄・鉄道で働く多くの女性が、劣悪な条件化での労働を強いられている。
 
 体調不良や家族の不調があっても休めないシフトが組まれ、更なる体調悪化へとつながり、悪循環になっている。流産経験者も多い。また、女性には不向きな重労働に従事せねばならない部署に配属になる場合も。ある女性は問題を訴えたところ、転勤を命じられ、長距離通勤を余儀なくされた。
 そんな女性たちが立ち上がり、労働組合を組織して労働環境の改善を訴える。

続く

『続く』(74分 2004年 監督 ジュ・ヒョンスク) ――【移住労働者問題】

 韓国で不法滞在者として長年暮らしてきた移住労働者。韓国政府はその境遇を改善するといい雇用許可制法を作ったが、その法はむしろ移住労働者たちを更なる暗い現実に追いやり死に至らせるのであった。
 苦痛を訴えるため千人余の移住労働者たちが集まり、全国で座り込みを始める。しかし彼らの行為を不法とみなした韓国政府は容易には変わらない。

 現実は恐ろしく続く。

 ある移住労働者を母国バングラディッシュまで追い、現地での撮影・インタビューも交え、移住労働者を取り巻く現実を掘り下げて伝えた作品。

テチュリ村の戦争

『テチュリ村の戦争』(40分 2006年 監督 ジョン・イルゴン) 

 韓国のピョンテク基地問題は、米韓両国が、駐韓米軍再編計画により全国14箇所の米軍基地を大部分統廃合して、中国に近い、ソウルの南沿岸に位置するピョンテク地域への移転を決定したことから発生した。移転敷地の米軍基地面積は、計画によると現在のなんと3倍近くに拡張される。

 村では立ち退き補償、都市生活への誘惑で雰囲気が乱れる中、マスコミと人々の無関心にも関わらず、土地と生命を守ろうと、テチュリ小学校を拠点に阻止運動が展開されるが・・・ 。

 米軍基地拡張反対住民たちの1年を追った映像。

あんにょん・サヨナラ

『あんにょん・サヨナラ』(107分2005年 監督 キム・テイル 共同監督 加藤久美子) 

 イ・ヒジャの父はアジア太平洋戦争中に日本軍に徴用され、中国で戦死した。
 日本政府から、父について何の通知もなく、彼女が父の死の詳細を知るのは90年代に入ってからのこと。その上、父は遺族の知らないうちに靖国神社に合祀されていた。父の命日に、父が死んだ場所へと旅するイ・ヒジャを追い、在韓遺族にとっての合祀の意味を問う。
 墓石にアボジの名前を彫れるその日まで―イ・ヒジャの願いを共に叶えようとする日本の友人の姿は、イ・ヒジャの旅に新たな意味をもたらした